2017年4月17日月曜日

対人恐怖

患者

『対人恐怖の根治法』を読んで、理屈は解りますが、実行ができません。


 先生

貴方のいう事は、結局、本を読んでも対人恐怖が治らないという事でしょう。

それは夏は暑いという理屈は解ったが、どうしても、涼しいと思う事は出来ないというと同様です。

暑いのは、どうしたって暑い。人前では恥かしい、きまりが悪い、それは我々の心身の事実であるから、どうする事もできない。どう思えばよいかという事はない。

耐えても耐えなくとも、思っても思わなくても、暑い事に相違はない。例えば、急に発熱して、40度になったとする。苦しい。どうしたって、苦しい事に相違はない。

これを、どう考えればよいかとか、理屈をいえばいうほど、益々苦しくなるばかりである。


 患者

あきらめるんですね。


 先生

あきらめる事は出来ない。

あきらめる事が出来れば、苦痛でもなければ、欲望でもない。

我々は偉い人になりたい、金持ちになりたいと思って、あらん限り勉強する。各々分相当の標準を立てて見きりをつける。

これは理知的の判断であって、欲を捨てるのではない。その証拠には、一万円の財産が出来れば、二万円にしたくなり、「欲の袋に底はない」という風に、財産が増せば増すほど、欲は強くなるのが、普通の人情である。

 神経質はあきらめる事の出来ない人である。

我々は人生の実際において、あきらめる事が出来ない者であるという事を、明らかに自覚する事が出来れば、ただあらん限りの努力をするより外に道がないという事が解る。










2017年4月15日土曜日

森田正馬の神経質研究

患者 

「永久に不幸が続く」という不安は、どうすればよいのでしょうか。

先生 

抽象的に考えずに、具体的に一つ一つ事実について考えて行けばよい。

不幸とは何の事か。
試験に不合格か。学資金が無くなるか。下駄の緒が切れたか。鉛筆の先が折れたか。

永久とは、それがいつまでも、鉛筆の先が折れ、、下駄が切れて、何時間、立往生するか。子孫代々、下駄が切れるか等、一つ一つ事実について、考えて行けば、必ず行きつまる所へ行くものです。

このような抽象的の事は、昔々その昔とか、上の上のまだその上とか、先の先のまたその先とか、比較・相対を離れて、無限・絶対のはてしの無いものですから、限りない不安がつづく訳になるのであります。

貴方の不快な感じが、金に沁み込んだという事は、我々の活発な想像の結果であるから、夢のようでも、お伽噺のようでも、少しも差支えのない事です。

ただ、糞は臭いと同様に、不快な想像は、どこまでも、いやな不愉快な事であるという事は、我々の心の事実である。

糞を臭くないように、不快の考えを愉快に考えようとするのが、間違いの元であります。

ただ不快は不快である。それだけでよろしい。





思おうとする心と思うまいとする心の葛藤が煩悶である

 物事を言葉で詮索し、解釈しようと思う時には、どうしてもその言葉の意味、すなわち「煩悶とは何ぞ」とかいう事を、まず、つきつめてかからなければなりません。    「金がなくなった」「働かなくちゃならん」そんな事は煩悶とはいわない。煩悶とは、心の葛藤です。欲望と恐怖との拮抗...