2017年11月12日日曜日

思おうとする心と思うまいとする心の葛藤が煩悶である


 物事を言葉で詮索し、解釈しようと思う時には、どうしてもその言葉の意味、すなわち「煩悶とは何ぞ」とかいう事を、まず、つきつめてかからなければなりません。

 

 「金がなくなった」「働かなくちゃならん」そんな事は煩悶とはいわない。煩悶とは、心の葛藤です。欲望と恐怖との拮抗闘争です。

 「金がなくなった。残念な事をした」とか「働かなくちゃならん。苦しい事だ」とかは、そのままであれば葛藤ではない。

 「あの時に、あんな事をしなかったらよかった。もしああしてあったら、こんな苦しい目にあわなかったろうに」とかいうのは、どうにもならぬ、過ぎ去った事をいたずらにかこつだけで、こんな事を繰り言という。

 ただこんな事をくり返し・思い出し・口走るたびに、これに関連した悔しい残念な事柄ばかりを思い出して、苦しい思いが、募るばかりである。ここまでは、まだ闘争ではなく、葛藤ではない。

 

 この繰り言は果てしがなくて、心が滞り煩累を感ずるから、ついにはこれを思い捨てて、あきらめるようにと、その心を圧迫・否定し、あるいは逃避し気を紛らそうとする。すなわち一方には思おうとする心と、他方には思うまいとする心との葛藤が起こる。これが煩悶である。強迫観念の原理も全くこれと同様である。 

 我々は、苦しい事を苦しいと思い、残念な事を残念と思うのは、自然人情の事実であるから、腹がへった時に、食べたいと思うと同様に、これをどうする事もできない。これをそうでなくしようとするから、全く不可能の事で、あせればあせるほど、いたずらに奔命に疲れるばかりである。これが煩悶であり・強迫観念であるのである。




思おうとする心と思うまいとする心の葛藤が煩悶である

 物事を言葉で詮索し、解釈しようと思う時には、どうしてもその言葉の意味、すなわち「煩悶とは何ぞ」とかいう事を、まず、つきつめてかからなければなりません。    「金がなくなった」「働かなくちゃならん」そんな事は煩悶とはいわない。煩悶とは、心の葛藤です。欲望と恐怖との拮抗...